Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル

     Love me tender
 






   ――― それはある意味、立派な“修羅場”であった。



 遊びにと招かれていた邸内の、すっかりと勝手の判っている明るい居間にて。じゃあ今から出掛けようよと、ねだってねだって何とか尻を上げさせた相手が不意に。窓辺の陽だまりの中で立ち止まって、それから

  ――― ぐらり…、と。

 力尽きてしまったかのように、唐突にその長身が頽れてしまい、
「…るい?」
 いやにゆっくりな倒れ方だったのは、それだけ…粘って粘って我慢をしていた彼だったからか。その配色もシャープに利いた、カジュアルなデザインの濃色のトレーナーの腹あたりを押さえていた大きな手のひらが、そこをそのまま抉るんじゃないかってほどに力が入って筋張っていて。絨毯があったから膝を突いた音はさしてしなかったが、そのまま上体までが前へと倒れた音はさすがにして。車を出す準備が出来ましたと伝えに来かかっていた執事の高階さんが、ギョッとしてだろう、足早になってすぐ傍らまでを駆けつけたほど。
「坊っちゃま? どうされました?」
 屈み込み、声をかけたのへ、だが、返答はなく。先に進みかけていた坊やが、さすがにただならぬ異変を感じて、わずかな距離を駆け戻ろうとしたところへ、

  ――― がはっ、と。

 排水管が逆流するよな、いやな水音がまとわりついた、そんな声がして。ギクリとし、不覚にも足が竦んでしまった坊やだったりし。そういえば今日は…どこか覇気が足りないというか、勢いのない様子の彼ではあったけれど。どうせ夜更かしをしたか、ホントはまだ呑んじゃいけないんだの寝酒でも飲み過ぎたかしたんだろうと思ってた。しょうがねぇルイだなと呆れつつ、軽く体を動かせば調子も戻るぞと思い。それで“出掛けようよ”とねだった坊やだったのであり。特に困ったなという感じでもないまま、すんなりと立ち上がってくれたお兄さんではなかったか? それが…。

  「…坊っちゃま? ルイ坊っちゃ…っっ!」

 伺うような声をかけていた高階さんが何かへハッとして、その声の調子を高めた。それからはてきぱきとしたもの。まずはお兄さんの顔へ手のひらを当て、そのまま横を向いたままでいてくださいとくっきりとした声で言い、片膝突いての屈み込んだ態勢のまま、スーツのポケットへ手を入れると小さな携帯を掴み出し、短縮ボタンを押してから矢継ぎ早に指示を出す。

  「咲坂、車はセダンからボックスへ変更。至急だ。
   それと、そこに相馬さんはいるか?
   おいでなら至急1階の居間まで来てもらってくれ。
   タオルを抱えられるだけと厨房から湯と水、新聞紙に洗面器を運んで。
   あと、手の空いてる男衆を何人かと…そうそう、篠宮さんも呼んでくれ。」

 一通りの指示を出すと、視線は坊っちゃまへと注いだままにて、別なところへとかけ直した高階さんで。

  「…鷹巣先生ですか。突然に失礼致します、葉柱家の高階です。
   実は、ルイ坊っちゃまが今しがたお倒れになられまして。
   ………はい、意識はございます。ただ、倒れたそのまま吐かれました。
   あと腹部を押さえて、体を丸めるほどにも痛がっておいでで。
   脂汗も…はい。
   素人が勝手な所見をするのは危険ではございますが、これはどうやら…。」

 あまりに急な事態だったので…何が何やら、言ってみれば呆然自失。耳鳴りでもするのか、遠くなった高階さんの声。そんなにも難しいことは言ってないはずなのに、意味を把握出来ない“音”にしか聞こえない。ただ、その手際のよさと冴えから、坊やが感じたことは“緊急事態”に他ならず。何かがド派手に躍り込んで来て、そのまま居着いている訳でもないのにね。あくまでも穏やかなままの、冬の陽光が降りそそぐばかりな見慣れた居間に変わりはないのにね。張り詰めた空気を感じて、背中や肩が強ばり、うなじがざわざわと…逆毛が立つようなそんな感覚に襲われる。

  ―――これって何?

 電話をかけ終えると、倒れたままな葉柱の傍らで床へ片膝を突くほどに姿勢を低くし、何物からでも大切な坊ちゃんを守るぞという態勢に入っている高階さんであり。そうこうする間にも、お外の廊下から、此処へと駆けつける人たちの足音が響いて来るのが判る。ノックもおざなりにドドッと飛び込んで来たのは、広い邸内のあちこちで日頃はそれぞれに別々のお仕事を受け持っている人たちばかり。相馬さんというのは少しほど年嵩な女性で、当家のメイドさんたちを束ねておいでのベテラン、昔風に言うなら“女中頭”さんでいらっしゃり。主に葉柱家のご一家の生活面での色々の手綱を握っておいでの、頼もしい“家内執事”というところ。地味だが清潔そうで、しかも格式を匂わせるような品のある。質素ではないながら、それでも極限まで装飾を押さえた、そんなワンピース・スーツをお召しの婦人が、
「ま。これは…。」
 高階さんの傍らに倒れている坊ちゃんを見て、息を引きかけたものの…さすがは当家に仕えし ン十年と、年季の入ったお人でもあり。驚きをすぐさま、その胸の裡から追い出してしまうと、しゃんと伸ばした背条も凛々しく、
「坊ちゃま、ルイ坊ちゃま?」
 選手交替でやはり傍らに寄り、小柄でおいでな分、もっと低く屈み込むと、何事かを坊っちゃまへと話しかけ、持って来ていたタオルや洗面器をお顔の近くへ広げにかかる。一緒に駆けつけた、庭師や運転手などなど、力仕事専任の男衆の面々も、心配そうなお顔は隠し切れない様子であったが、指示があってから動くのが基本なせいでか、相馬さんの手元を見ている高階さんからの指示待ちという態勢にあり。そうして、

  「…ルイ、どうしたの?」

 やっとのことで。何がしかの呪縛でもかかっていたかのように、その場に凍りついていた坊やが、やっと何とか我に返れたらしく。あと数歩ほどの距離を ぱたた…と駆け寄って来かけたところが、

  ――― え?

 その身がふわりと、後ろからの手でかつぎ上げられた。坊やといってももう小学生。おくるみで巻かれて荷物扱いになってしまうような、小さな小さな乳幼児とは訳が違うはずなのだが。それが…何の抵抗を見せる間もないままに、足が浮くほど軽々と持ち上げられたというからには、かなりの力持ちの仕業であり。何だよ何すんだと向背を振り返れば、運転手 兼ガードマンの蛇井さんという、レスラー並みの上背と体躯をした若い衆ががっちりと坊やを抱えている。どうやら、高階さんが坊やの頭越しに素早く目配せを送ってのものと思われて、
「さあさ、妖一くんはこっちにいましょうね?」
 その傍らから、これはメイドさんの篠宮さんが話しかけて来る。この緊急事態の最中、子供は邪魔になるということか。いやいや、そこまで冷徹に見切られたんではないからこそ、坊やを不安にさせないで構ってやるお役目にと、一番に懐いている…らしいと思われている、ルイ坊っちゃんの身回り管理担当の彼女まで呼んだ高階さんではあろうけど、
「やだっ! ルイのトコいくっ!」
 傍に行く、お顔を見るのと、じたばた暴れて、今日は珍しくも聞き分けない坊や。篠宮のお姉さんにも向き直りすらしないまま、やだやだとルイとだけを繰り返し、もがくように暴れて見せる。とはいえ、懸命に腕を伸ばしては空を掴み、空しく足掻いては仔猫の癇癪よろしく、大きな手で易々と高い高いと封じられ、お兄さんの傍らへ駆け寄るどころか、その身の自由まで奪われてしまっている始末。そんなじたばたの間にも、対処は速やかに進んでおり、
「奥様へはお知らせした方が…。」
「若からのお電話へはどう対処を…。」
「鷹巣先生から、西の門を開けておくとのご連絡が…。」
「玄関までの扉を全て全開にしておけ。一気にお運びするぞ。」
「はいっ!」
 周辺が急に慌ただしさを増したのは、車の支度が出来たことと、各方面への連絡が行き渡っての、これも機動力の発露の一端か。そんな中でただ一人、動くに動けぬままでいる、床へと横たわったままな総長さんの姿が見えて。
「…ルイ。」
 何があっても必ず、坊やのことを優先してくれていたのに。今日だって…さっきまでだって。こんなまで痛いの我慢して、お出掛けしようって立ち上がってくれてたのに。
「るい…。」
 かけた声さえ聞こえないのか、何にも反応を返してくれない。かなり不利な喧嘩の最中にだって、あんな顔、してたことないのに。避け損ねのパンチもらっても、渋く苦笑して返すルイなのに。今までに一回も見たことないくらい、きつくお顔を歪めて真っ青になって、うんうんって唸ってる。掻き乱されたようになって、床にまでこぼれて散ってるままの黒い髪の陰。眸も開けられないのか、そのまま縫いつけたいかというくらい、ぎゅうって瞼を閉じたままの彼であり、歯を食いしばってる口元からも、こらえ切れない呻き声が漏れ出していて、これは相当に痛むか苦しいに違いなく。
「るいっ!」
 こっち向いてよ、ちらっとで良いから。此処にいるって気がついてよ。俺んことから うっかりと眸ぇ離せねぇって、いつも言ってんじゃんかよっ。…なあ、聞こえねぇの?
「危ないから。じっとしてなさい。」
「やーだっ! 離せよっ!」
 再び、躍起になって暴れて暴れて、少々乱暴な口利きまで飛び出したものの、それほどまでに彼なりの異変を感じたのでしょうねと、取り乱してのことと解釈されたらしく。心配で心配で居ても立っても居られなかったのよ、日頃からあんなにも坊っちゃまに懐いてる子だものねと、あとあと、メイドさんたちの間で涙を誘う逸話と化した抵抗だったが、それさえ空しく封じられたまま。やがて一通りの始末を終えられたらしい葉柱のお兄さんが、若い衆たちの手でそぉ〜っと担ぎ上げられ、車を回した玄関の方まで運ばれて行くのを見送らされて、

  「るいーーっっ!!」

 後日には“血を吐くような”とまで語られし、悲痛な叫びを上げても空しく。小さな小さな坊やと、急な難儀に倒れた身の総長さんと。抵抗かなわぬ大人たちの無情な手によって、同席あたわずと無残にも、引き裂かれてしまった二人であったのでございます。








            ◇



 清潔そうな白基調がお定まりの、シーツやカバーといったリネン類に、冬の陽光が淡く弾ける。どこぞの一流ホテルのツインルームだろうかというほど、ゆったり広々とした室内には、落ち着いた色調・デザインのクロゼットやらチェストやらスツールやら。作り付けのものから置かれたものまで、さりげなくセンスのいいもので統一されての整頓が、居心地の良い空気を醸し出してる優しい空間で。角度がうまく計算されていて、直接の眩しい光は飛び込んで来ないような位置へと設けられたる、そんな特別室へと。大きめのコスモスみたいな、小さめのヒマワリみたいなガーベラと、ベール代わりのようにそれをくるむカスミソウの花束を持参した、それはそれは大人っぽい、充実したプロポーションと美貌の女学生が、

  「…ったくもう。」

 やれやれだよね〜っと。呆れが過ぎて突き付けてやる言葉もありゃしないとばかり。大きめの花瓶へと花を活け終わりつつ、豊かなお胸を上下させての盛大な溜息混じりに、吐き出すような声を出し。それへと、

  「うっせぇな。」

 これでも手術したばっかの入院患者だぞ、何だよ、ちっとは いたわれよと。ベッドの主がいかにも不満げに口許を尖らせるものの、
「だって、ただの虫垂炎だったっていうじゃないの。」
 この時期にスイカの暴れ喰いでもしたのかしらねぇって、おば様も呆れながら笑ってたわよと。澄ましたお顔で昂然と返すから怖い怖い。手術ったってご大層に構えるほどのもんじゃあないと、腐すようなお言いようだが………実のところ、大人になってからの虫垂炎は、下手をすると他の臓器に癒着したり、腸内破裂を起こすまで気がつかなかったりと、これでなかなかに物騒な傷病でもあるからご用心。いきなり倒れてそのまんま、家人たちの手によって手際よく担ぎ込まれた此処、葉柱家掛かりつけの鷹巣先生の病院にて、予備検診やら何やらを済ませた後、消化物の関係もあって夕刻からかかった緊急手術の末に、一夜明けての翌日の、今は正午を少し過ぎた頃合い。昨日は慌てて駆けつけたご家族たちも、もう安心だろうとそれぞれのお仕事へと戻っておられ、そんな方々と一緒にこちらさんは昨夜のうちにも一旦帰宅し。今朝はまずはとガッコへ向かうと、葉柱の担任の先生へその旨を報告し、仲間たちへは経緯とそれから当分の間の練習予定を言伝てて。昼までの授業を受けてから、再び…今度は付き添いにと病院へ戻って来た、アメフト部のマネージャーにして、実は影の総裁ではなかろうかと周囲から思われてるほど怒らせると怖い、メグさんその人だったりし。まま、この一連のやり取りからだけでも、そんな相対関係くらいはあっさりと察することが出来ようというものでもありまして。慣れた手際でお花を生けてから、
「まあ、何にしても今時分で良かったわよね。」
 あっさりと仰有って下さるが。災難は災難だってのに、それを“良かった”はなかろうと。術後なので動けないとはいえ、屈強精悍なお兄様。野性味あふるる、鋭角的な目許を眇め、何でだよと唸るように咬みつけば。あら、春の大会までは出るんでしょうがと、やっぱりけろりと返された。
「1週間強で退院して、まま、完治までにもう1週間? かかったとして、それでも何とか、四月すぐにも始まる日程へ、春休み目一杯使っての調整が間に合うからねぇ。」
 良かったわよねぇ。いやに力を込めて繰り返すメグさんであり。何だよ しつこいぞ、どうしてやろうかこの野郎はというお顔をする総長さんへ、

  「坊やがサ、そりゃあもう、物凄い取り乱しようでね。」

 そんな一言を付け足したから。おやや、これは思わぬフェイントだったか、葉柱が切れ長のその眸をついつい見開いたほど。だからこそ…どちらかと言えば男らしいまでに さばさばしている筈な彼女の、ちょいと執拗な叱咤でもあったのらしく、
「あいつが?」
「ああ。」
 何しろ倒れたその時にもすぐ傍らにいた訳だし、大人たちから引きはがされた後も、そりゃあ心配そうにしていたからと、高階さんの判断で別の車で病院までを同行させたものの、
「いつも自分がお腹へ飛び乗って起こしたりしてたから、そんで内臓破裂とか起こしたのかって。」
 真っ青になって高階さんやお医者に訊いてたんだよ?と。どれほど深刻そうだったかを伝えれば、
「…そうさな、これを機会に控えてもらおっかな。」
 あれ、結構くるんだよななんて、葉柱のお兄さん、鼻の先で笑うような苦笑をして見せる。本人は冗談のつもりらしかったものの、
「ば〜か、何のために腹筋そこまで鍛えてんだよ。」
「少なくとも坊主のまたがり攻撃のためじゃあないつもりだが。」
「…っ。」
 いい加減にせんかいという容赦のない拳骨制裁が降って来て、冗談はさておかれ。

  ――― きっと怖がらせちまったな。
       ああそうだ。ちゃんと謝るんだぞ?

 あの、いつも気丈で強気な子が、見るからにおろおろしてて。手術室の前で しまいには泣き出しまでしてサ。すがりつきたいのを大人たちに力づくで制
められたその上に、逢えないまんまの2時間くらいが経ってから、今度は緊急手術っていうじゃないか。何にも聞かされないままだったもんだから、尚のこと“酷い状態なのか”って思い込んでのことでもあったんだろうけど。手術が終わったのが8時を回っていただろか。お母さんが迎えに来ても帰らないって言い張って。それでもさんざん泣いて泣き疲れたからか、10時を回らず寝ついちゃったから。斗影さんが帰りがてらに送って行ってくれたんだってよと、一通りを説明してやり、
「此処での検査中とかはともかく、引っ繰り返った直後とか。あの子の呼ぶ声、全然、聞こえてなかったのかい?」
 まだ意識はあったろうにと訊くメグさんへ、
「…まあな。」
 少々その声のトーンを落とす総長さんであり。だってよ、どんだけ痛いか判るか? よく女の出産の苦しみは男にゃ判るまいなんて言うけどよ、これよか痛てぇんならそりゃもう女って凄げぇ〜って思ったくらいに…。

  「何が言いたいのか、よく判んねぇんだよ。」

 もう一回鉄拳を食らったところで、かちゃりと。いかにもおずおずと背後のドアが開いた気配。次の間との仕切りのアコーディオンカーテンは開いてあったから、そのままドアまでが素通しになっていて、

  「…あ。」

 もしかして、まだ麻酔が効いてて寝てるかもと思ったかノックはせず。それにしては賑やかだったんで、誰かはいるなと思っての神妙なお顔が少し俯いたまま。そやってしずしずと入って来たのが、今話題に上がってた金髪坊やだったので、

  「よぉ。久しぶりだな。」
  「…ああ。」

 何に遠慮してのことやら、それとも…痛々しいとでも思ったか。ベッドへ近づかないで、お部屋の動線の途中で立ち止まった妖一坊や。可愛らしいダッフルコートを羽織った小さな肩が、何とも力なく落ちたままであり、そうして。そんな坊やを見やる葉柱のお兄さんの眼差しの、何とも穏やかで優しそうに和んでいたことか。その双方を素早く見比べ、

  “………ははぁ〜ん。”

 実は実は…という話を仕掛かっていたのに。曇りガラスのはまったドアの向こう。この子の気配があったんで、咄嗟ながらに誤魔化したわねと。妙に和んだお顔になった総長さんだなと感じたと同時に、メグさんにもピンと来たのが、
“さては。倒れながらも実は…聞こえていたわね?”
 半狂乱の死に物狂い。それしか言葉を知らないかのように、ルイとばかり叫んでいたという坊やの悲痛な声を。実はちゃんと聞こえていたけど、そうなると…あとあと、威張りんぼ坊やの分が悪くはならないかと。そんな風に思っての、
『全然、聞こえてなかったのかい?』
『…まあな』
 坊やが取り乱していただなんて“聞こえてませんでした”という、さっきの応じであったのかも。だとすれば、

  “この子に関してだけは、随分と気を遣えるようになったもんだよねぇ。”

 あらあら・まあまあと微笑ましいやら…当事者以外には ただただ砂吐きものの甘さばかり、部外者にはやってらんない空気になるやら。そんな雰囲気が満ちて来そうな予感がしたのへも、これまた素早く気づいたメグさん、
「あのね? ヨウちゃん。あたし、ダチんチへ電話かけて来たいんだ。」
 すぐ背後に立ち尽くしたままだった坊やに向かって、そんな風なお声をかけている。
「…え?」
 まだどこか覚束無い、そんな鈍い所作にて見上げて来た子へと。
「この病室でも、寝てんのはこいつだから別に携帯使っても良いらしいんだけど。一応の用心ってことで、階下
したの喫茶店まで行ってるからさ。しばらくの間、こいつんこと、看ててやってくんないかな。」
 冬服の制服のスカートのポッケから、しゃれたデザインの携帯を引っ張り出し。わざわざ屈んで…何かしらをこしょこしょと耳打ちしてから、あのね? にっかと笑って、ウィンク1つ。返事も待たずにじゃあねと言って、さかさか颯爽と病室を後にしちゃった彼女であり、

  「…えと。」

 ぽつんと居残った坊やへと。ベッドから動けないお兄さんが視線を向けている。しおらしいなんて、このトンガラシ坊やには一番に“らしくない”から、それであのね? 心配しているお兄さんなのかも知れなくて。コートを脱ぎつつ、ベッドまで。ゆっくりゆっくり近づいて。背もたれがお洒落なパイプ椅子、さっきまでメグさんが座ってたのか、広げてあったのへと、背もたれへコートをかけてから、ちょこりと座れば…目の前にお兄さんがいる。横になっているのは、切ったのがお腹だから。腹圧というのは物凄く、何mもある内臓をお腹の皮一枚で日頃は圧し止めているのだけれど。今はそのお腹の皮に切れ目が入った状態にあるので、せめて一両日中くらいは、出来るだけ横になったままでいなくてはいけないのだとかで。

  ――― あのさ。
       んん?
       あの…さ。
       うん。
       大丈夫か?
       ああ、全然大丈夫だ。

 それって使い方間違ってんだぞ? せーかくには“全然心配要らない”だ。らしいな。けどよ、今となっては“全然自信がない”とか“全然うまく行かない”とかいう方が、なんか違和感いっぱいに聞こえね? うん、まぁな。………なんて。のっけから何の談義でしょうか、お二人さん。昨日と変わらず、柔らかな冬の陽射しに満ちた目映さのその中で。坊やの淡い髪の色やら金茶の瞳の虹彩、白い肌が、尚のこと…神々しいまでの透けるような玲瓏さを増して見え。せっかく可愛いのにな、何て顔してんだよと。見ているこっちまでがついついと、眉を下げてしまっていたらば。

  ――― すっ、と。

 小さな手が伸びて来て、ベッドの上に更なる厚みのある葉柱の胸板へと、それがちょこりと伏せられる。パジャマ越しの小さな手は、あまりに頼りなくも軽くって。そこに留まったのが、さも臆病な小鳥であるかのように。小さな声をなお掠れさせつつ“どした?”と訊くと、

  「…暖ったかい。」

 ああそうか。あれからこっち、触れるなんて出来ないまんまでいたもんな。さっきメグさんと話していた内容ではないけれど、いつもお兄さんのお膝を自分の特等席だと思っているような節さえある坊やだったから。無理から引き離されたという状況条件もあって、気持ちが浮足立ったままでいたに違いなく。

  「…ごめんな。」

 びっくりしたろうな。なんか前の晩からチクチクって下腹が痛かったんだが、単なる腹痛だろって思っててよ。
「………。」
 またぞろ、どこか沈んだお顔になったのへ、
「そんなだって言ったら、お前 絶対色々と我慢して。俺んこと怒らせてでも病院へ行くように仕向けるからくりとか、企んだんじゃねぇ?」
 くすすと笑って言ってやると、
「…そんなややこしいからくりなんて、思いつくかよ。」
 まだちょっと低めの声で、そんな風に言い返す。目の縁が赤くて、声も少しほど掠れてて。やばいな、こんな泣かせたかと、そこは切ってはいないはずの胸の底がちりりと痛む。大きな手を伸ばせば、腕の長さが幸いし、ベッドの端から少し離れてたお顔にそれでも届いて。柔らかな頬は外気のせいでか少し冷たく。手のひらで覆うようにして撫でると、向こうからも。瞼を伏せて押しつけるように、何度も何度も擦り寄ってくる。そんな可憐な仕草が何とも愛おしく、目許を細めて黙ったまま、しばらくほども眺めていると、

  「………あのな?」

 座ったまんまで椅子を掴んで。こっちへと身を進めて来て、何事か…言いたげなお顔になった坊やだったから。んん?と目顔で促せば……………。


  「………あのな、俺。ルイのこと、大好きだ。」

  …………………………………………………………………。


 時が止まったか、それとも目の前の患者さんたら目を開けたままにて人事不省状態に陥ったのか。切れ長の目なのに三白眼という、結構怖いその目許を目一杯に見開いて。これを翻訳すると“何ですて?”というところだろうか。呆気に取られて、ついでに表情が固まってしまった総長さんへ、
「…何だよ。」
 沈黙が重くてか、坊やの方から口を開けば、
「いや…初めて、じゃね?」
「何が。」
「…いや、だからよ。お前が俺へ、わざわざ“す〜”なんて言ったのが。」
「そ、そんな中途半端な言い方すんなよな。////////
 まったくです。
(苦笑) 伏字にしないといけないような、やらしいことじゃないでしょに。
「やらしいことじゃあないけれど、滅多にゃ聞けないことでもあっからな。」
「悪かったな。////////
 ほら、怒らせた。それにしては真っ赤なのは、さすがに…言葉の意味が分かっていればこその照れが出てのことに違いなく。そんなものがじわりと滲んだその余波か、泣き疲れてのちょっとしたやつれさえ、この年頃には不埒すぎる色香に見えて来るから…。

  “…ああ、やっぱり可愛いよなぁvv

 ますますのこと、表情が、眼差しが、緩んで来たのをまじと見やられ、
「…いや。あのその。///////
 こらこら、誤魔化すなvv(ひゅーひゅーvv
「大体、何なんだよいきなり。」
「だから、メグさんが…。」
 さっきメグさんが、あのね?

  ――― 大切な人への、一番の特効薬を教えてあげようね。

 そうと言って耳打ちしてくれた。好きなら好きだって言ってあげること。好きっていうのは特別な呪文だからね。言われて嫌な気分になる人はいない。ましてや坊やみたいに可愛い子が言うんだから、良く効くよって。そんなの気休め、大人の屁理屈。子供だと思ってからかわれたかなって思いもしたけど。1日振りに頬っぺを撫でてくれたルイの手のひらは、泣きたくなるほど優しかったし。彼の側とて疲れてのことか。少し低い掠れたお声は胸の奥まで染み渡って、それはそれは深く響いて暖かだったから。

  ――― ああやっぱり。俺、ルイんこと、好きなんだなぁって。

 あらためて。そうと思った坊やだったらしくって。
「…効かなかったか?////////
「あ、いやいや。効いた効いた、凄げぇ効いたぞ。」
 こらこら。そんな取ってつけたかのような言い方は、あまりに有り難みがなさすぎだぞ、総長さん。何せ、ベッドの上から逃げられない立場であって…じゃあなくて。今にもバッと立ち上がって駆けてかれたら、すぐさま追ってゆけない身なのが歯痒い。だから、大胆な物言いとか、ちょっと歯が浮くかもな物言いとか、冒険しちゃうような以下同文なことって、今はちょこっと言えなくて。これってやっぱ、狡いのかなぁ。こんな小さな坊やでも、勇気を振り絞って言ってくれたのにね。
「………。」
 頬へと添えたままだった大きな手。ふと引っ込めた総長さんだったのへ。
「…っ。」
 ちらって視線が動いて“…あっ”てお顔になった坊やだったけれど。声も出さずにいるのが、強情なんだかそれとも…今はまだ気が弱っている彼なのか。そんな坊やがうつむいてしまうその前に、

  「偉そうかも知れねぇけどな。」

 そんなお兄さんの声がして。やっぱり少し掠れていたのは、疲れているからかなって。何だかそっちの方が気になって、それでと椅子をもっと寄せて。ベッドにくっつくほど近寄れば。お兄さんがあのね、目許を細めて、それは嬉しそうなお顔になって。それでね?
「俺ってば気が利かねぇから。意味も分からずに好きだの何だの言っても、お前には全然ありがたくなかろなんて、勝手に決めつけててよ。」
 ああ、やっぱり良い声だなって。坊やの方でも目許が緩む。そしたらね。

  「そうそう。そういう顔をな、させるのが嬉しくて。」
  「………え?」

 自分が見込んだ奴だから、そういう奴からこっちも見込まれるのは嬉しいよな? だからつい、他所を向かれっと苛々したりして。自分の方ばっか見てろって思ったり、そいつの中での一番上でいたいと思ったり。そんなもどかしさに振り回されてると、ついつい忘れちまいがちにもなるんだが。

  ――― 大切な人ってのにはやっぱ幸せでいてほしいし。

 だから、そいつが笑ってくれるんなら…そいつの役に立てるんなら凄げぇ嬉しい。恐らく、きっと。それが一番最初にあるのが、正しい“順番”なんだってこと。いつもいつも、あのね? 坊やの傍らにいるとね? 色んな形で思い知らされるから。それを忘れてるってことを、思い知らされるから。こんな小さい子が何てまた物凄い我慢をしてるかなとか。こっちは大人…じゃないけど“お兄さん”なのに、あんまり頼ってもらえてない、自分の力の足りなさとか。そいや いつだったか、俺と一緒にいるようになってから よく泣くようになったなんて言ってたろ? そうじゃなかったお前の方が…無理な背伸びの延長で、泣けなかったお前の方が、良い筈なんてないのだけれど。

   ――― どうせなら。

  「泣きたいと思わずに済むようになったって、そう言わせてぇよな。」

 部屋へと差し入るは柔らかな冬の陽。ああ、暖かいね。久々にいっぱい泣いた眸には、痛いくらいに眩しいね。大きな手がゆっくりと、髪を梳いてくれるのが。指先で髪へ頭へ直に触れてくれるのが、愛しい愛しいと触れてくれるのが。温かくて…嬉しくて。
“………馬鹿ルイ。”
 やっぱり、あのね? 泣きたくなった。難しい言葉とか知らねぇくせによ。小学生にもボキャブラリィ負けてるくせによ。なんでそんな…判りやすい言い方で、曖昧な“想い”なんてややこしいもんを絶妙に言ってのけちまうかな。でもね、笑ってる坊やが好きだって、そんなお顔をさせるのが嬉しいって言ってたばっかだったから。しょうがねぇな、奮発してやらあって。せいぜい笑って見せたかったのにね。

  「…あっ。おいおい、泣くなってばよ。」

 やっぱ上手くは言えなかったかな。困らせちまったかな。ごめんなごめんなって。頭を撫でてくれてた手で、今度は頬っぺを撫でてくれて。体を横に出来ないからって、片手だけで頑張って。一生懸命に目元とか拭ってくれて。様子見で戻って来たメグさんが“あららぁ”と肩を竦めた一幕だったそうで。ホントはお互い良い勝負の不器用同士。もう間近に訪れているのだろう新しい春も、どうか仲良く過ごしてねと。まだ気の早いウグイスが、緑の多い敷地のどこかから、幼い初音で応援してくれましたとさ。




  〜Fine〜  06.02.28.


  *う〜ん。何か終わりの方は玉砕しているような気が。
(笑)
   この人たちでのメロドラマは、年齢制限
(?)が一応はあるせいか、
   一旦 我に返るとモチベーションをなかなか上げ直せなくて大変です。
(苦笑)

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